マネジメントの感性

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投稿

2020/03/03

著者

八卷直一

詳細

 ある夏の昼下がり、一冊の幕末に関する文庫本を読みふけるうちに、私はいつしか眠ってしまったらしい。もしかするとそうではなく、タイムスリップと言うやつで、幕末に時間移動したのかもしれない。気がつくと、そこは見せ物小屋の前である。どうやら、両国あたりの大川の橋のたもとである。照りつける日差しの中、大勢の人々が行き交い、物売りの声が響く。小屋は俄か作りだが、実に大きい。高さ15m、幅20mもあろうかというもので、奥行きはここからではわからないが、相当大きいことは確かだ。幾本もの幟が折からの川風になびくなか、木戸口には長い行列ができているではないか。
 見せ物は、「籠細工」だそうだ。私は、そのとき何の疑問も抱かず、列に並んでみた。やがて、木戸口をくぐる順番がきた。曲がりくねった通路の両側には、幾種類もの竹を編んだ籠細工の鳥や動物が並んでいる。いずれも、見事な出来映えである。しかも、一抱えもあろうかという大きなものばかり。感心しながら通路を進むと、やがて一番奥のスペースにやってきた。裃姿の口上師の、面白おかしく解説する声がよく通る。
 や、見上げるような関羽が、目の前に現れたではないか。三国志の武将関羽は、江戸の世界では、庶民の間に偉大な英雄として人気があったようだが、これほど圧倒的な迫力で現れるとは。さしもの江戸っ子も、さぞ肝をつぶしたことであろう。高さ6mはあろう。実に大きく、威圧的で圧倒される。これが籠細工なのかと、びっくりするやら、感心するやらのうちに、立ち止まる余裕もなく、大勢の人にもまれながら、往来の雑踏の中に押し出されたのであった。
 これが、今読んでいる文庫本にある「江戸の見せ物」だったのだ。この機知に富んだ発想、見事な演出、そして細工の技術、それらは派手で自己主張に富み、雄弁な興行である。
 大いに興奮した頭を休めるべく、大川端をひやかして歩くと、やがて長い塀が続く武家屋敷の門の前に立っていた。さっきとは一変して、静寂と気品に満ちた空気が、ゆっくりと流れる。実に、奥ゆかしい雰囲気ではないか。これぞ、我が日本人の心意気である。長い土塀の向こうから、勝海舟さんがお伴とともにゆっくりと歩いてくるような気がしてしかたがない。いや、そういえば、かの遠山の金さんも、幕末間近の名奉行だったのを思い出した。聞くところでは、ペリー来航の直前まで、江戸のお奉行様だったそうである。向こうから悠然とやってくるのは、もしかすると遠山の金さんなのかもしれない。
 あまりの心地よさに誘われ、道ばたの木陰に腰を下ろして一休み。どうやら、そのまま居眠りしてしまったようである。
 ふと我に返ると、ソファーに寝転んで、胸には開いたままの文庫本。何事もなかったかのようにカーテンがそよいで、ふんわり風が舞い込んでくるのであった。風はけっこう涼しいと思ったら、知らない間に、日はすっかり西に傾いてしまったらしい。
「日本的なもの」については、数多くの論述がある。これらに共通することは、世界の中にあって日本的なものは特異であり、特にマネジメントの世界で顕著である、という見解だろう。しかし、日本人論を一つの方向だけから見ては、見損じるというものである。大川端を少し散策するだけでも、大きく異なる二つの日本人像が発見できるのだから。本書では、この辺の諸々を追い求めつつ、幕末の歴史散歩に出かけようと思う。というのも、私は幕末から明治の歴史に、すっかり興味を持ってしまったからである。
「幕末」とは、なんとロマンあふれる時代であったことか。志を持った多くの若者が、縦横に活躍し、今では考えられないような大仕事を成し遂げた。死にものぐるいで剣術に勉学に没頭できた時代であり、生き甲斐を掴もうと思えば、いくらでも大きなそれを手にすることができた時代である。タイムスリップできるものなら、我々も行ってみたい。そして、坂本龍馬や高杉晋作とともに働いてみたい。そんな妄想を、おじさんなら一度は持ったものである。
 初心者向けの文庫本を片手に、いざ幕末へ。

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